今回は、以前視聴したことがあり、最近になって再び視聴する機会があった映画『少年は残酷な弓を射る』(原題:we need to talk about Kevin)の感想と考察記事を書いていきたいと思います。
インパクトの強い邦題(この邦題には賛否両論あるようですが私としては肯定的に捉えています)に、ポスターでの弓を構えている少年の不敵な笑みを見て「この少年は何者なのだろう?このタイトルはどういうことなのだろう?」と気になったのが、一番最初にこの作品を観てみたいと思ったきっかけでした。(少年を演じるエズラ・ミラーさん、ハマり役でしたね。今ではハリー・ポッターの外伝作品であるファンタスティック・ビーストシリーズにもクリーデンス役として出演されています。)
少年の「母」の目線で描かれたこの作品、色々と深読みできるような描写が多々あり、映画のストーリー自体も二重、三重にも入り組んだ構造となっており何度か見返してから気づかされることも多かったですね。
この感想と考察記事ですが、主人公である母親のエヴァ視点と、少年=息子のケヴィン視点、両者にスポットを当てて書いていきたいと思います。
ただ、ケヴィンの視点に関しては、この物語がエヴァの目線で展開されておりケヴィンの心情描写がほとんどないことから、私の主観が多く含まれます。
ですので、あくまで一つの解釈であるとしてその点はどうかご了承下さい。
『少年は残酷な弓を射る』あらすじ
自由奔放に生きてきた作家のエバは子どもを授かったことでキャリアを捨て、母親として生きる道を選ぶ。
生まれた息子はケビンと名づけられるが、幼い頃からエバに懐くことはなく、反抗を繰り返していく。
やがて美しい少年へと成長したケビンは反抗心をますます強めていき、それがある事件の引き金となる。
「フィクサー」のティルダ・スウィントンが主演。
-映画.comより引用
キャスト……ティルダ・スウィントン・エズラ・ミラー・ジョン・C・ライリー 他
映画の冒頭は、主人公の中年女性エヴァの鬱屈とした生活描写から始まります。
一人寂しい生活を送っている彼女は何故か近所の人達から煙たがられているようです。
映画『少年は残酷な弓を射る』より
いえ、煙たがられているというレベルではありません。
家の壁にはペンキをぶちまけられるという嫌がらせを受け、道端でたまたま出会った顔見知りと思われる女性たちからは突然暴言を吐かれビンタまでされてしまいます。
そんな毎日を送りながらも、就職活動を経て、新しい職場が見つかったエヴァですが、どこか周りの顔色を窺いながら仕事をしているように見えます。
彼女を面接した採用係いわく、エヴァの経歴は本来であれば事務員には勿体ないほどの華々しい経歴のようです。
そんな彼女がなぜ、以前までの仕事を辞め、小さな旅行代理店の事務員という地味な仕事を選ばざるをえなかったのでしょうか。
一体、彼女の過去に何があったのか?
彼女の過去の手がかりとなるのは、要所要所で挿し込まれる過去の描写。
かつては夫と息子、娘と4人で暮らしていたと思われる日々。
彼女の夫と息子、娘たちは一体どこへ行ってしまったのでしょうか?
物語は、現在のエヴァの視点と過去のエヴァの視点を行ったり来たりしながら、一家に何があったのかということを少しずつ明らかにしていきます。
母・エヴァの視点で描かれるストーリー
そもそも、エヴァは有名な冒険小説家という華々しい経歴の持ち主でした。
ありとあらゆる国を旅しながら、自由奔放に生きてきた彼女は、やがて恋人男性フランクリンとの間に一子を設けます。
キャリアを失うことに後ろ髪を引かれる思いだったエヴァですが、それでも母として子供を育てることに専念するという道を選びます。
そして生まれてきた男の子・ケヴィンは父親には懐くものの母親に対しては異常なほどの悪意をむき出しにする、エヴァにとっては非常に手を焼く子でした。
映画『少年は残酷な弓を射る』より
母親のボール遊びにはちっとも反応しない。
何を言われても無視をする。
成長して言葉を喋るようになると、母親のやることなすこと全てに対して悪態をつくようにもなりました。
本来ならとうに一人でトイレで大きい方を済ませられるような年齢になってもなお、一人でできずに(わざと?)母親を困らせるといった描写もあり、母エヴァにとってはケヴィンの存在は頭痛の種だったのです。
そして、ケヴィンが成長していくにつれ、そんなケヴィンの問題行動はどんどんエスカレートしていくのでしたーー。
エヴァはどのような母親だったのか?
映画『少年は残酷な弓を射る』より
ここで重要となるのは、エヴァがそもそも子供を望んでいたのかどうか?ということです。
確かに、ケヴィンに対してエヴァは良い母親であろうと努力しているかのように映画内では描写されています。
どんなにケヴィンから辛辣な態度を取られようと、エヴァは必至に堪えて母として息子とコミュニケーションを取っているように見えます。
しかし、彼女は実はそもそも望んで妊娠したわけではなかったのです。
妊娠が分かってからのエヴァは、それまでの自分の華やかなキャリアを捨てざるを得ないことに落胆し、日々膨らんでいく自分自身のお腹を見つめながら酷く憂鬱な表情を見せていました。
検診に来ていた他の妊婦さんたちが嬉しそうにしているのとは実に対照的でしたね。
そして、ついには幼いケヴィンに対して、ケヴィンが来るまでママは幸せだったと辛辣に言い放ってしまうのです。
たとえどんなに育児が辛かろうと、決して言ってはいけない一言でした。
生まれてきた我が子に対して、確かにエヴァは「良い母親」になろうとしたのかもしれません。
しかし、どこかでこの子がいなければ私はもっと自由でいられたのに…という気持ちを押し殺しながら、母親業をやっていたのではないでしょうか。
そして、そんな母親の姿をケヴィンは見抜いていたのではないでしょうか。
実は「似た者同士」なところがある二人
物語中盤頃の印象的なシーンとして、エヴァが水に顔を浸すとそれがやがてケヴィンの顔になっていくというシーンがあります。
これは、この物語がエヴァの視点から描かれており、ケヴィンの姿もまたエヴァの目線を通して描かれているということを暗示していると同時に、二人は実に似ている親子だという隠喩も含まれていたのではないかと思われます。
映画『少年は残酷な弓を射る』より
実際に、作中のエヴァとケヴィンの行動や言動を注意深く観察していくと二人には似通っているところが非常に多いなと感じられました。
例えば、ケヴィンが噛んだ爪をテーブルの上に並べていくシーンと、エヴァが割られた卵で作った卵焼き(スクランブルエッグ?)を食べながら卵の殻をテーブルに並べるシーン。
例えば、エヴァが(子供が間違って開けないようにと)戸棚に鍵をするシーンと、似たような形をした自転車の鍵をケヴィンが購入するシーン。
そして、エヴァが「太っている人は太るようなものを食べるから太るんだ」と、肥満の人に対して悪態をつくシーンでは息子のケヴィンからも「キツイこと言うね」と突っ込まれています。
と同時に、「自分だって普段そうじゃないか」と言うエヴァに対して、ケヴィンは「確かにそうだ。誰かに似たんだろう」という決定的な一言を発するのでした。
これらの描写から、エヴァはケヴィンに対してどう接したらよいのか分からないという不安を抱きながら、そしてケヴィンはエヴァに対して常に反抗的な態度を取りながらも二人は実は似た者同士なのだということが分かりますね。
エヴァはもしかしたら、心の奥底でケヴィンに対して同族嫌悪的な感情があったのかもしれません。
だからこそ、自分からケヴィンを遠ざけてしまっていた…ということもひょっとしたらありうるかもしれませんね。
作中では一切描かれない息子ケヴィンの心情描写
映画『少年は残酷な弓を射る』より
エヴァの視点から描写されるケヴィンは、母親に異常なほどの悪意を向ける息子、得体の知れない子供として描かれています。
作中は一貫して母エヴァの視点で語られるのに対して、息子ケヴィンの心情描写らしいものは一切見られないことから、観客からしてもより一層ケヴィンに対して何を考えているのか分からない、不気味だという印象を植え付けられるのです。
しかし、それはあくまでエヴァの目線ーーある一定のフィルターを通した上で見たケヴィンの姿です。
実際の彼は、どのような少年だったのでしょうか。
また、彼はなぜ母親に対してのみ反抗的な態度を取り続けたのでしょうか。
このように、ケヴィンの目線に立って考えようとしたとき、私にはケヴィンは本当は母に愛されたくて仕方がなかったのではと思えてしまったのです。
その理由や特に気になった描写について以下に書いていきます。
母の全てを独占しようとするケヴィン
まず気になったのが、ケヴィンが10代半ばになってからの時間軸のとある一場面。
本屋の前で、ケヴィンが母エヴァの書いた小説の広告を眺めているのをたまたま通りがかったエヴァが目撃するシーンでした。
このときのケヴィンは自分を見ているエヴァの存在に気が付いていません。
よって、エヴァに対する悪意や歪んだ感情などはなくただ純粋な気持ちで母に関係するものに関心を持ち目を留めていたということが読み取れます。
このことから、ケヴィンはあれだけ母を邪見に扱いながらも決して母に関心がないわけではない、むしろ強い関心を抱いているということが分かりますよね。
(ちなみに、このシーンの後、エヴァはたまには二人で遊びに行こうとケヴィンを誘っています。自分に対して少なくとも無関心ではないらしい息子に対して、エヴァなりにもっとコミュニケーションを取ってみたいと思ったのでしょうね。)
そして、そのシーンを見てふと思い出したのが、幼少期のケヴィンが、エヴァの部屋一面に貼られていた世界地図を絵の具でぐしゃぐしゃに塗りつぶしてしまうという嫌がらせを行ったシーンでした。
映画『少年は残酷な弓を射る』より
このときのエヴァは特に育児ノイローゼが酷かった時期で、上述したように幼いケヴィンに対して「ケヴィンが来るまでママは幸せだった」「フランスに行きたい」などと非常に辛辣な言葉を投げかけてしまったこともありました。
その言葉をよく覚えていたケヴィンは、自分から母を奪ってしまいかねないものとして外国=世界地図をメチャクチャにしてしまおうと考えたのではないでしょうか。
そう考えると、本屋でのシーンのケヴィンは母にもっと自分のことを見てほしいという思いからつい足を留めてポスターを眺めてしまっていたのかもしれませんね。
そう考えると、数々のケヴィンのエヴァへの嫌がらせは、後にも述べますが本当に歪んだ愛情表現だなと思います。
後に生まれてきた妹に対する仕打ちなどは、明らかに母親の愛情が自分ではなく妹に向いていることに対する嫉妬からくるものでしたしね。
唯一母に甘えられたときの思い出を胸に抱いて…
そんなケヴィンが、一度だけエヴァに甘えたときがありました。
それは、幼い頃のケヴィンが体調を崩し嘔吐してしまい、エヴァに介抱された、というエピソードです。
エヴァの視点から見れば珍しく素直になってくれたという風に見えますが、ケヴィンからすれば、初めて母が心から自分を心配してくれたと思えたのかもしれません。
そのことに安心して、いつになくケヴィンは母に甘えることができたのでしょう。
このとき、エヴァがケヴィンに対して読み聞かせてくれた絵本『ロビン・フッド』はケヴィンのアイデンティティーの一部とも言えるようなものとなり、彼が成長してからも大事に部屋に保管されていることが分かります。
そして、『ロビン・フッド』の主人公が弓の名手であったことから、ケヴィンも弓を趣味で始めることになったのでした。
映画『少年は残酷な弓を射る』より
映画の終盤、ある重大事件がエヴァとケヴィンたち一家の運命を大きく変えてしまうことになるのですが、その際のキーアイテムとなったのがエヴァとケヴィンとの思い出の品である弓矢というのがなんとも言えないですね。
ケヴィンにとっては『ロビン・フッド』の絵本と弓は母親との唯一の温かい思い出と言えるものなのですから…。
ケヴィンは「サイコパス」なのか?
『少年は残酷な弓を射る』のレビューを見ていくと、しばしばケヴィンはサイコパスなのではないかといった感想を拝見することがあります。
確かに、エヴァの視点から見たケヴィンは非常に不気味で理解しがたい存在です。
また、終盤に近付くにつれてどんどんエスカレートしていく母への嫌がらせなどを見るに、彼には良心など存在しないのではないかと思われても仕方がないところもあるやもしれません。
しかし、ケヴィンは果たして本当に「サイコパス」なのでしょうか?
「サイコパス」という精神病質について調べてみたところ、
・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的
…という7つの定義が出てきます。
作中のケヴィンの描写を見るに、良心が異常に欠如している・他者に冷淡で共感しない・罪悪感が皆無という項目は当てはまっているかもしれません。
しかし、これらはあくまでエヴァの視点から見たケヴィンの姿なのです。
私が見たところ、ケヴィンは常に父親と母親の顔色を窺い、家族の中でどのように立ち回ればよいかを考えながら行動していたように見受けられました。
本当に自己中心的な人間であれば、そのように他者の顔色を窺うようなことはするでしょうか。
また、共感しない、という項目がありますがケヴィンは誰よりも母エヴァの気持ちをよく分かっていた人物です。
自分がどのような行動を取ったら彼女を困らせるのかをしっかり把握しており、やり過ぎたと思えばブレーキをかけることもできる。(ケヴィンがまだ幼かった頃、エヴァがケヴィンに手を上げて怪我を負わせてしまったという事件があったのですが、その際に彼は母のせいだと周囲に訴えることなく穏便に事態を終わらせています)
他者の気持ちが分からない人間にここまでのことはできないでしょう。
むしろ、私の目から見たケヴィンは他者の感情の機微に非常に敏感な少年ではないかと見受けられました。
よって、ケヴィンはいわゆる「サイコパス」ではないのではないか、というのが私の考えです。
彼はただ、誰よりも母に愛してもらいたかった、母を独占したかっただけなのでしょう。
そう考えると、一見すると不気味で理解しがたい、サイコパス的にも映るケヴィンのことが憐れで仕方なく思えてきてしまいますね…。
ラスト:母と息子として
以下、本作のラストシーンについての感想を書かせていただきます。
未見の方はご注意下さい。
16歳の誕生日を目前にしたある日、ケヴィンは父と妹を弓で射殺し、自分の通っている学校の体育館を施錠し同級生たちに向けて弓矢を乱射するという大事件を起こします。
一人残されたエヴァは、被害者遺族から非難の目を一身に浴びながら、生きていくことになるのです。
映画の冒頭、なぜエヴァは近所の人たちから疎まれているのか、といった疑問に対する答は「加害者家族」だからというものでした。
そんな本作のラストは、エヴァがケヴィンのいる少年刑務所に赴き、エヴァとケヴィンがようやく互いに真正面から向き合うという、微かな希望が見える締めくくり方でした。
エヴァはケヴィンの部屋を用意していたところを見るに、恐らくそれほど遠くない将来、少年刑務所から出所してくるであろうケヴィンと共に暮らすつもりなのでしょうね。
その少し前のシーンで、宗教の勧誘らしい男性二人組に人組に「自分が行くところは決まっている、地獄に行くんだ」と言い放つシーンからは、息子の罪も、そんな息子を生み育てた母である自分の罪も全部背負ってこれからの人生を生きていくんだ、という強い意思を感じました。
そして、そんなエヴァに対して、ケヴィンはどこか怯えた表情を向けます。
その目にはかつての敵意や悪意は感じられませんでした。
何故あんなことをしたの?と問うエヴァに対して、「あのときは分かっていたつもりだったけど、今は分からない」というケヴィン。
思うに、あのときは母に振り向いてほしい、母を自分だけのものにしたいという強い理由から凶行に及んだものの、少年刑務所に入り、世間から隔離された環境で生活を送ってきたことによって彼の中で大きな心境の変化が起こったということなのでしょう。
あくまで私の想像にすぎませんが、母親と物理的に引き離された結果、「母親を独占したい」という、自分で自分を縛り続けていた呪縛から解き放たれ、一人の人間として自立し始めたのではないかと考えています。
やっと心を通わせることができた二人は抱擁し、最後にエヴァは一人帰路に就く…というところで映画は終わっています。
もともと性格的に非常に似通ったところがあるエヴァとケヴィン。
なぜもっと早く二人は和解することができなかったのだろうか…と私には思えてなりませんでした。
本当はエヴァもケヴィンも、互いのことを誰よりも分かり合えていたはずだったんですよね…。
そんな二人がこれから歩んでいく道ーー贖罪という名の道はまさに地獄といっていいような困難な人生になるかと思いますが、どうか母と子で強く生き抜いていってほしいと心から願ったラストシーンでした。
『少年は残酷な弓を射る』 感想まとめ
映画『少年は残酷な弓を射る』より
映像・演出面の感想を先に書かせていただきますと、至るところで赤色が効果的に使われていたな、という印象でした。
冒頭の”トマト祭り”のシーン、エヴァの家の壁に塗られた赤いペンキ、サンドイッチからはみ出すイチゴのジャム…などなど、赤という刺激的な色を用いて、見ている側に不安や警戒心を抱かせるという演出が印象的でしたね。
また、食事のシーンでこれほど生理的な嫌悪感を植え付けられたのは、本作が初めてかもしれません。苦笑
普通、食事のシーンって、皆が賑やかに食卓を囲んでいて料理もおいしそうなものじゃないですか。
それが、本作においては、料理はさほどおいしそうではないし、登場人物の食べ方も汚いのなんの…
「食べる」という演出を使って、見ている側にここまで生理的嫌悪感を”敢えて”植え付けるというのはなかなかのものだな、と思いました。
(ところで、エヴァはケヴィンの食べ方に一切注意しませんでしたね…。これも本来であれば母親としてきちんと言わなければいけないところだと思います。)
そして、本作のストーリーに関する感想を一言で表すと、本当は誰よりも互いのことを理解し合えていたはずなのに、どこまでもすれ違い続けた母と息子の悲劇という言葉が一番ふさわしいかな、と思います。
結局のところ、エヴァは母親としてケヴィンと真正面から向き合えてはいなかったんですよね。
そのことを聡明なケヴィンは幼い頃から察していて、だからこそ母に対するありとあらゆる嫌がらせを行い母の目を自分に向けさせようとした。
そんな、どこまでも不器用としか言いようがない母と息子は、事件を機にやっと向き合い、今後の過酷な人生を共に歩んでいく覚悟をしたのでした。
主人公のエヴァを見ていて思ったのは、(私はまだ子供を持ってはいませんが)母になる、母性を持つということは、子供が生まれたら自然とできるようになるというわけではないのだな、ということです。
どうも世間一般では、女性は母性を持っていて当然という認識があるようですが、母性というものは、自ら子供と向き合い、自分の中で育んでいかなければならないものなのではないでしょうか。
作中でエヴァが、長い時間を経てやっと息子を真正面から受け止める覚悟をしたように。
本作は邦題や予告CMの雰囲気からするとサイコサスペンス風味な映画という第一印象でしたが、その実、女性の「母性」というものを掘り下げたヒューマンドラマ作品であるとも言えるかもしれませんね。
母と息子の関係、女性が「母」になるということーー諸々考えさせられた、見応えのある映画でした。
(※)思春期の少年の複雑な心の機微やバラバラになってしまった家族の再生というテーマを扱った作品について、以下の感想記事を書いています。
よろしければ併せて読んでいただければ幸いです。
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