アナキンの”闇落ち”の理由は?~他者と自分との境界を認識する=「自己の人格(パーソナリティー)を確立させる」ということ〜

STAR WARS
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スター・ウォーズシリーズ全体の感想について、前回の記事でざっくりとした感想を書かせていただきました。

敵味方含めいずれも個性的・魅力的なキャラクターばかりの本作ですが、特に私が初見時から強く印象に残っているのがEP1~3の主人公アナキンです。

個人的な話になりますが、はっきり言ってしまうと初見時は苦手なキャラでした。 

念のために申し上げますと、今ではアナキンに対して苦手、嫌いという気持ちはありません。むしろシリーズの中でも特に思い入れの深いキャラクターの一人です。
では、アナキンのどこをどう苦手に思っていたのか。そして、なぜ最初は苦手意識を持っていたのに今ではそうでもないのか。 
色々と考えた末に、もしかしたらこういうことではないのか?と自分なりに感じたことについて、述べさせていただきたいと思います。 

※序盤のみ(表題『キャラクター性~』の箇所)、アナキンに対して結構きついことを書いていますので、アナキンのことが好きでそういった内容がどうしても無理だという方はご注意下さい。

キャラクター性・内面的な部分について

スターウォーズの感想サイトで、しばしばアナキンを嫌いだという方を見かけたことがあります。 

特に批判されがちな点は、EP2のストーリー中における、
・ジェダイであるという責任をほったらかして初恋の人=パドメとの恋愛にのぼせ上がっている点
・師匠であるオビワンに対する反抗的な態度
の2点が多かったように思います。

ただ、私としては、EP2の時点のパドメやオビワンへの態度がどうこうといった点については特に気になりませんでした。(むしろEP2での少々の問題行動に関しては、思春期~青年期の若い男性としてはまぁあんなもんだろうし仕方ないかな、と思っています)

私が気になったのは、そんなアナキンの周囲の人へ向ける態度よりも、彼自身の内面的な部分についてでした。 

物事を極端に捉えがちで感情の振れ幅が非常に激しいところ。 

思い込みが激しく何でもかんでも自分と関連付けてとことん悪い方向に考えてしまいがちなところ。

結果的に、自分で自分をどんどん窮屈な方向へと追い詰めていってしまう(ように第三者からすれば見える)ところ。 

EP2の時点では、まぁ思春期の若気の至りというか、分かる部分はあるなぁと思って広い心で見守っていました。 
ただ、EP3では、2の頃から何年か経ってそれなりに年齢を重ねているにも関わらず未だにどこかで思春期の頃のまま成長が止まっているようなアナキンの未熟さに終始いらだちを感じてしまいました。汗 

EP3のあの顛末に関しても、確かにジェダイ側がもっとアナキンにこうしてあげていれば…と思うこともなくはないのですが、それでもああいう結果になってしまった原因の半分は、アナキン自身の性格というか物事の捉え方、自分自身の感情との向き合い方に少々の難があったということにあるのではないかと私は思えて仕方ありませんでした。 

物語の主人公なのに、主人公のやることなすこと全てが気に障って仕方がない… 
そんなわけで、初見時はアナキン目線でもオビワン目線でもなく(オビワン目線で見たら見たで弟子アナキンの問題行動に目が行ってしまって余計にキツかったかもしれませんね苦笑)、完全に傍観者というか第三者目線で「眺めて」いたように思います。

アナキンの生い立ちについて

なぜあのような不安定な性格になってしまったのか。 

本人の生まれ持っての性格というのももちろんあるかもしれませんが、後天的なものとしては、
幼少時代に母親と引き離された結果、一生のうちでも一番多感な思春期~青年期の時期に、母親への反発→精神的自立という大事な機会を奪われてしまったことや、
自身にとって安心できる存在になることもあれば時に比較対象(=人生の指針的存在)にもなりえる父親に取って代わる存在がいなかったこと、
要するに親子関係をしっかりと構築する機会がなかったということが、後々の人格形成に大きく影響を及ぼしていたのかな、と個人的には思います。

ジェダイはお仕事上の仲間同士であって「家族」ではないですからね。
師匠であるオビワンでさえも、アナキンの兄のような人になることはできても父親的存在になることはできませんでしたし。(これに関しては決してオビワンの能力不足というわけではなく、幼年期から家族と引き離して情を捨てさせて育成するというジェダイ側の教育方針にそもそも問題があるのではないでしょうか。) 

特に、子供のときはべったりだった母親から自立し、母親以外の異性に目を向けていくということは男の子の成長にとっては非常に大事なことだと思います。
この「反抗期→母親離れ」の過程をきちんと辿ることができないまま母親以外の異性と付き合うことになると、その異性に対してもどこかで母親的な役割(=絶対的・安心できる存在)を強く求めすぎてしまうことになるのではないかと思われるので。

ただ、このようなタイプの人って現実にも結構多いですよね。
幼少時に親子関係をうまく構築できなかったことが原因なのか、それとも他にも色々な要因があるのか、人によって生まれ育った背景、生育歴はそれぞれ違うでしょうし私はその手の専門家ではないのではっきりと断言することはできませんが。

かくいう私自身も、実はそうした傾向があるな、と自分でも自覚しています。(なので、年齢的にはいい大人なのに大人になりきれない大人だよなぁ…とつくづく思うことはあります汗)

「苦手」→「好き」になれた理由

ここまで考察していて、そもそも自分はアナキンのそうしたところが何故苦手だったのか、自分なりに考え付いた答があります。これに気が付いたのは、個人的に大きな発見でした。

ぶっちゃけて言ってしまえば、自分の中に似たところがあるから非常に気に障ったんです。
自分と似ているから、自分の中の嫌な面を見させられているようで、アナキンの考えていることや悩んでいる自体は非常によく分かるものの…いや、むしろ分かるからこそ「もう見てられない」という風に拒否反応を起こしてしまっていたのかな、と。 

なんだ、フィクションのキャラクターに勝手に自己投影して勝手に嫌悪感を抱いていたのか…と思うとちょっぴり自分が恥ずかしいなぁと思ってしまったのですが(苦笑)
そうした嫌悪の感情さえ取り払ってしまえば、(よくも悪くも)感情移入しやすい、行き過ぎた行動に関しては時に呆れることはあれど根本の部分では憎みきれない人物として、以前は苦手だと思っていたアナキンのことが好きになれたように思います。 
(こんな風にガラッと人の見方が変わるあたり、私も結構極端なところがあるのでしょうか。苦笑) 

ただ、感想サイトを巡っていると、アナキンが好きだという方は皆さんすごい熱意を感じるというか(笑)本当に好きなんだなぁ…というのが伝わってくるので、そもそも結構好き嫌いのはっきり分かれるキャラなのかもしれないですね。

オビワンとアナキンについて

スターウォーズの新三部作の中でも、この二人のすれ違いからEP3での一騎打ちに至る過程は見ていてなかなか切なく、苦しいものがありました。 

私としても色々と思うところはあったのですが、特に印象に残っているのは、EP3の劇中、アナキンが任務に向かうオビワンに対して、自分は不肖の弟子で申し訳ないと謝罪の言葉を投げかけるシーンです。そんなアナキンの言葉を受けて、オビワンはアナキンに対してお前は自慢の弟子だよと優しい言葉を掛けるのですが、
あれは、言われたことを額面通りに受け取って中途半端な励ましの言葉を返してはいけない場面だったと思います。(もちろんオビワンにとっては中途半端な励ましなどではなく、アナキンに対する精一杯の賛辞だったとは思うのですが。) 

言っている本人としては、他にもっと言いたいことがあるんだけど言えないからああいう言い方をせざるをえない(そして出来ることならばそんな自分の心理状態に少しでも気が付いてほしいしどうしたのかと気に掛けてほしい)という心理状態だったのではないでしょうか。 
まぁ、だからといって、励ましの言葉ではなく何と言えば良かったのかというと私にも分かりませんが…汗

悲しいことですが、あの時点で二人の間の気持ちのすれ違いはもはや修復不可能なレベルにまで達してしまっていたんでしょうね。(この場面、オビワンは明るい光の差す方へ歩いていくのを影からアナキンが見送っているという意味深な描写なんですよね…。) 

オビワンはオビワンで、アナキンに対してしてあげられなかったことをずっと後悔したまま、アナキンの息子のルークの成長を見守り続けてきたのでしょうが、EP6では立派に成長したルークとライトサイドに戻ってくることができたアナキンの姿を見て、やっと心安らかになれたのだと思います。
 そう考えると、オビワンというキャラクターも、シリーズの主人公格といえる人物の一人なのだろうな、と思いますね。

”他人と自分は違う人間である”

当たり前といえば当たり前のように聞こえるかもしれませんが他人と自分は違う人間なんです。

一人一人生まれ育った背景が違えば、考え方や価値観もそれぞれ違います。違うからこそ、時に激しい対立構造が発生してしまう(戦争もそう)し、自身にとって理不尽だと強く感じてしまうこともあるかもしれない。
だからこそ、他人は他人で自分は自分なのだという認識をしっかり持っておくことが、生きていく上、社会生活を送る上で他者を尊重し何より自分自身を守るために、自分の人生を自分らしく生きるために大事になってくると私は思います。 

月並みな言い方になってしまいますが、周囲の評価に振り回されたり理想と現実のギャップに苦しんだりして要らぬストレスを溜めてしまいやすいタイプの人(真面目な人や感受性の強い人に多いような気がします)には、他者と自分との線引きをはっきりさせて自分をしっかり持ってほしいし、周囲にどのように評価されたいではなく自分はこういう人間でありたいという意思を強く持ってほしいと強く思っています。 

自分を救えるのは最終的には自分自身です。

そして、自分を”本当の意味で”大事にできる人こそが他者を大事にできるのだと、私は思います。  

少々脱線してしまいましたが汗、そんな感じで、自分自身のことを振り返りながら見ると、今までとはまた違った形でシリーズを楽しんで鑑賞することができるように思います。 
他人と自分は違う人間であるということに加えて、これもまたありきたりな言葉になりますが、完璧な人間なんて世の中にはいないんですよね。
スターウォーズ の世界でいうと、一般的なイメージとしては「正義」のイメージだったジェダイ側でさえ、ライトサイドに固執しすぎた余り逆にダークサイドが付け入る隙を作ってしまったという大きな失態を犯していますし。 

エンターテイメントとして楽しめるのはもちろん、欧米のヒーローものにありがちな、正義対悪という二元論に収まってしまうのではなく、人はなぜ悪に堕ちてしまうのか、人を愛するということは何なのか、そういったことを時にふと考えさせられる、よくできた作品だなと改めて思いました。   

(※)STAR WARS IDENTITIESの感想記事にて、よりアナキンの内面について掘り下げた内容を書かせていただきました。

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~余談~ 

以下は、個人的な趣味全開で自作したスターウォーズシリーズのMAD(AMV)動画ですが、こちらの感想記事のついでにご紹介したいと思います。。楽曲を歌っておられるのはKOKIAさんという歌手の方です。

  (動画URLはこちら→https://www.nicovideo.jp/watch/sm34823449)    

なるべく歌詞のイメージに合いそうなシーンを選んで編集してみたんですが、、 洋画にそもそも邦楽を合わせるのは無茶でしたかね汗  

赤ちゃんルークを登場させるかどうかは結構悩みまして、二人の子供に未来を託す的な〆方もいいなとは思ったんですが、色々考えた末にああいう感じになりました。だいぶ悩んだんですが。  

ご視聴下さった方もコメントして下さった方もありがとうございました。 (YouTubeに投稿した方は英語のコメントを頂きまして、びっくりしたと同時に嬉しかったですね)

※2019年7月15日追記…YouTubeに投稿した方ですが、著作権の関係で視聴制限がかかってしまっておりましたので、規定に従って削除させていただきました。

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